この年末年始。法事やら訃報やらが連続しました。
その中で聞いた、僧侶の言葉にストンと落ちるものがありました。
1.僧侶の言葉
仕事納めの12月30日、妻からLINE。
遠方に住む叔父が亡くなったとの報。
年末年始は葬儀場の利用ができないとのことで、年越しすることに。
もともと予定していた、伯母の三回忌の法要を1月2日に実施。
1月2日の朝には、同僚のマネージャーから「部下のご祖父の訃報あり」とのメール。
会社の規定により、部門長名義の弔電打電。本人に電話し、急いで手配。
(ふだんは部下がやっているのだが、正月から働かせるわけにはいかない。管理職の仕事)
そして今、晦日に亡くなった叔父の葬儀会場を後にしたところ。
こんな風に、不幸事が続いた年末年始でした。
プライベートはもちろんですが、仕事としても「人の不幸事には最優先であたる」。
そう教えられてきました。
三回忌の法要をつとめてくださった僧侶。
普段から親しくしていただいており、法要のあとに説教もいただきます。
宗教とは、目に見えないものを信じること、なのだそうです。
小学校で出された、ある質問。
「氷は溶ける(とける)と、何になる?」
「氷が溶けると、水になる」
これが普通の答えでしょう。正解です。が、こう答えた子どもがいたそうです。
「氷が溶けると、春になる」
その子どもは、北国に生まれ育ったのでしょう。
雪と氷に閉ざされた街から雪や氷がなくなっていくと、春がやってくる。
そんな地域に育った子どもたちの、春を待ち望む想いが伝わる「答え」です。
先生は、想定外の回答が出たことに驚くも、もちろん間違いとはせず、よく理解されたという話です。
わたしは北海道や東北で生活したことがありません。
だから、「春がやってくる」という想像はできません。
でも、そのような発想をする子どもたちがいること、氷が溶けると春がやってくることを想像し、理解することはできます。
まさにこれも、「目には見えないが、それを理解する、信じる」
ということの一例ではないか、と思います。
亡くなった人は仏様になる、と言います。
そして、法事のときにはこのお仏壇にやってくるのです。
今日は●●おばさまのことを思い、懐かしむ時間になりました。
要約ですが、こんなお話でした。
「宗教とは、目には見えないもの、ことを信じること」
この出だしに、最初は、「いつもの僧侶らしくない、いやらしい切り出しだな」と警戒したのが本音でしたが、話を最後まで聴いて、腹にストンと落ちました。
自分の説教を「・・・信じることだそうです」と表現するのは、この僧侶のキャラクターでして、押し付けないスタンスも心地よいです。
この日、親戚が、飼っている犬とともに参列してくれてました。
この犬が、法要がはじまる30分ほど前に、ギャンギャン吠え出しました。
滅多に吠えないワンちゃん、しかも飼い主もそばにいるのに・・・。
もしかして、●●おばさんがやってきたのが見えたのか。
愚問と思いながらも僧侶に聞いてみると。
あー、もしかしたらワンちゃんには見えたかもしれませんね。
人間という動物は随分と退化したそうです。
今では、どんな人間も見えなくなってしまったものを、犬は見ることができたのかもしれませんね。
2.管理者としてとらえたい言葉
「目に見えないものを信じる、感じとる」
僧侶の言葉は、企業人、管理職という仕事としてとらえた場合でも非常に有意義と思います。
管理職にとって、想像力というものがとても大事だと思います。
この場合の想像力とは、
- 仕事の相手は何を考えているのか
- 部下は何が大事だと思っているのか
- 自分の言葉が相手にどう伝わったか
- 相手に自分の伝えたい意味合いは伝わったか、相手に自分の伝えたいことをどう話せば伝わるだろうか
等々です。
想像力というより、想像しようとする意識といいますか、意欲、想像しようという志と言った方が近いかもしれません。
便宜上、想像力と表現することにします。
この想像力がないと、コミュニケーションが成り立たない、管理職の仕事のほとんどは想像力、コミュニケーションから成り立っているといっても過言ではないと思うのです。
特に、管理職、マネジメントをする立場に立つならば、自分と部下の関係、自分と上司の関係、部署全体の人のつながり、お客様とのつながりなど、いろいろな場面で想像力を発揮させないと良い仕事ができない。
コミュニケーションがなければ部下は育たないし、お客様、取引先、営業訪問先の求めるものに対する成果も得られない。
僧侶の言葉が、想像力、つまりは管理職が備えなければならない素養に気づかせてくれました。
3.人は退化していく
退化した人物が要職についていたり、政治家だったり。
そう思えてしまう世の中になっていることが残念に思われる正月でもありました。
みなさんのお正月はどんなお正月でしたか。