元TOKIOの山口達也さんの事件をもう広げようとは思いません。
被害者のご親族もそういう主旨のことを望んでおられたとのことでしたし。
ただ、総務・人事の仕事を担当しているわたしからすると、放っておけないと感じる話がありましたので、それだけは触れておきたいと考えての記事です。
1.「診断書に書かれていれば」
山口さんをのぞくTOKIOのメンバーが、記者会見をしました。
そこで、こんな主旨のやりとりがあったそうです。
- (山口さんの)診断書に、アルコール依存症という記述がなかった
- 記載があったら、それなりの対応をできていて、今回のようなことは起きなかったかもしれない
表現や実際のしゃべり、誰が言ったか等はわかりませんが、こんな意味合いだったと思います。
素通りできないと思ったのは、この話です。
2.アルコール依存症だったら助かったのか
アルコールに関する不祥事(的なものも含め)が多かったらしき山口さん。なのになぜ医者の診断書には「アルコール依存症」がなかったのか。
ネット媒体で読んだ記事では、山口さんの病名は「双極性障害」(昔の表現では「躁うつ病」)だそうです。
双極性障害だから、アルコール依存症とは書かれていなかった、ということだそうです。
アルコール依存症だったら助かったのか。
「アルコール依存症」と診断書に書かれていたら、医者はそのための処置、治療を施し、また医者ではない周囲は、「お前はアルコール依存症なんだから、酒を慎め」とアドバイスしたり、アドバイスまではいかずともその人物に注目し、お酒との関わりをチェックするといったことができたでしょう。
しかし、あくまでわたしが読んだ記事が正しければ、ですが、双極性障害だったら大変だったでしょう。一筋縄ではいかない、というか。
それがわかっていたから、TOKIOのみんなは「アルコール依存症と書いてあれば」、あるいは「双極性障害ではなくアルコール依存症だったのなら、まだ助かったかも」と思ったのかもしれません。
3.双極性障害にはどう対応する?
アルコール依存症じゃなかった、では双極性障害だったら、どう対応するのか。
これはもう、医者・医療関係者じゃなければ対処できないレベルの深刻さでしょう。
メンタル不全という程度であれば、まだ、医者じゃなくても救いようがあると思うのですが(それでも程度によるとは思いますが)、双極性障害との診断となると厳しいでしょう。(これも程度によるとは思います。)
アルコール依存症と双極性障害、それらは完全に区別されたものじゃないでしょう。アルコール依存症のみの患者、双極性障害のみの患者、両方を患っている患者。
どちらかの障害がどちらかの障害を発症させる場合もあるかもしれません。
4.アルコール依存症を自覚しよう
これは、わたし自身への戒めでもあります。
医療関係者から聞いたことがある、アルコール依存症の定義です。
自分の意志でアルコールを飲まない、と決められないなら、依存症の第一段階
という話。
「今日は車の運転があるから、酒は飲まない」のは当たり前。
車の運転などお酒を飲んじゃいけないといった事情がない状況であっても「今日は飲まない」と決断し、飲まないという実践ができないとダメ、ということ。
「あれ、やばいな」
と自覚された方、まだ間に合います。今から、この意識・実践を重ねていけば依存症にならずに済むのではないでしょうか。