【更新】2021/02/12
初稿時は感情にまかせて書いてしまいましたm(_ _)m
怒りを感じることは、訓練や経験でしないようになった、大人なわたしです。
が、今日ほどにイライラ、怒りを感じたのはふた桁年ぶりかもしれません。
1.イライラの対象は菅・森ではない
イライラしている対象は、菅(や、その息子)や森ではありません。
もちろん、彼らに対する怒りがゼロ、ということではありません。
2.社員1名を救えなかった話
わたしのイライラは、うちの会社の社員1名(以下、Aとします)を救えなかった、という話です。
最初にこの記事を書いたときには、うちの会社の人事総務の責任者の要素が強く、イライラしました。
が、気持ちを落ち着かせ、Aの将来を考えた場合(それはすなわちひとりの人間としてAを見た場合、ということ)、彼の前進を喜んでいます。
3.しっかり話をきいてきたのですが
Aがある日、わたしの携帯に電話をしてきました。
「もう出社できません」
と。
彼は嗚咽しながら、自分の体調や出社できない事態に至った事情、経緯を話してくれました。
そしてその後、現在に至るまで3ヵ月超、電話・直接の面会含めふた桁回数やりとりをしてきました。
Aが訴えた宛先、対象は様々。
会社の対応のまずさに起因する出来事、彼自身に由来することなど。
そのひとつひとつについて、会社ができることは丁寧に対応し、彼自身に由来することは彼に期待し「仕事や会社のことは心配しなくていいから、まずは体調の快復に専念を」と、Aの体調回復を待ちました。
※「彼に期待する」といっても、「ガンバレ」「君のこういうところは直した方が良い」などと言うことはしません。彼の話をきくだけです。“話すことは放す”を信じて待つのみです。
そこへ、とあるトラブルが発生します。
そのトラブルは、誰が起こしたのか、どんな目的があったのか、誰がどんな得をするのか等。
我々は可能な調べ、想像しましたが、わかりません。
関係者にも聴き取り調査を行ないましたが、わかりません。
結果的には、そのトラブルがAの前に大きく立ちはだかる壁となりました。
4.退職します
Aからの電話でした。
そのトラブルが原因で、我々の会社に復帰するイメージがわかず、他の道を選ぶことにした、と。
Aが当社に復帰するのではなく、他の会社に契約社員の形で復帰することにした、と。
彼が当社に入社した頃、フィアンセがいて、結婚を予定していたそう。
でも、今回の病欠で、その話はなくなったのだそう。
Aの言葉を借りれば「すべてを失ったまま、何もできないでいるのが情けない」として、主治医からの「まずは一歩を踏み出してみたら」との言葉に、別の道を選んだのだそうです。
わたしは残念でした。
彼が当社ではなく他社を選んだこと、体調不良であればまずは回復に専念を、とお願いしたにも関わらず、想いが届かなかった。
他の道に一歩踏み出す勇気があるのであれば、なぜ当社を考えなかったのか、と。
わたしがAに、「うちの会社に復帰しろ」と引き戻そうとしたことはAのためではなかったかもしれない。
他の道を選ぶ、一歩踏み出すことができる場を彼が見つけられたのは、それがよかったのかもしれない。
結婚が破断になり、眠れなくなり、食欲もなくなり、人生のどこに希望を抱けるのかを探ったA。
部屋から一歩も出られない日々が続き、それでも前に歩んでいく気力が生まれたこと。
それを良しとしよう。
うちの会社の責任としてAを救えなかったけど、彼を我が社の一員として再び迎え入れることはできなかったけど、彼が一歩を踏み出したことには安心し、ホッとし、彼の力を感じました。
なぜなら、悲惨な結末を迎えた社員(Bとします)がいたのです。
Bは、一人暮らししていて、仕事もある程度はできていたのですが、病気の症状が重くなり、病欠。
親がドアを開けて食事を差し入れ、トイレ以外は部屋から一歩も出ないという生活に陥りました。
そして老親は亡くなり、Bがどうなったのか、わかりません。
Aには「俺は、うちの社員の一人としてだけではなく、一人の人間としてあなたを見守る。できることは限られるけど、困ったら話をしてくれ」と伝えました。
Aは自ら一歩を踏み出そうとしています。
プロ経営者よりも立派です。
蔑視発言もしない、誠実な信条を持っています。
Aの回復、成長した姿に再会できる日を心待ちにしています。
Aの退職というストレートパンチをくらってヘトヘトしているわたしに、菅や森というボディーブローが効いてくる。
情けない・・・。
総理大臣、菅義偉の息子がえらいこっちゃ