スナックのママが厳しく導いてくれた、自●や転職など愚かな発想しかなかったか弱きわたしの人生
「迷いと決断」というお題が出ていたので、あのときのエピソードを書いたろかな。
このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法
- 作者: 北野唯我
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2018/06/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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1.病気をしました
いわゆるメンタル系の病気をしました。
管理職になりましたが、仕事への責任感、部下の育成など、ジレンマに陥ってしまい、持病のめまいがひどくなりました。
休日、ショッピングモールのエスカレーターに乗っていたとき。
大きな吹き抜け。2フロア下で行われていたイベント的なものを見てみたいな、ふらっとこのエスカレーターを飛び降りてみようか。
死のうと思ったわけではなく、エスカレーターをふわっと乗り越えてみようかくらいの感覚ですが、2フロア分の高さですから、死ぬ、あるいはそこまでいかなくても大けがするレベルの現実です。
(ま、実際はそのようなことがないように、エスカレーターから飛び降りるなんてことはできないようなアクリルの壁があるのですが。)
いずれにしても、そのような発想になるくらい、現実からふわふわ浮いていたのは事実。
仕事もしばらくは休んだほうが良い、と医師からの勧めもあり、休むことにしました。
2.ブログ、SNS
それよりもさらに4〜5年前、ある程度の割合で転職を考えていたことがあり、登録していたエージェントのサイトで仕事を探したり、ほそぼそと書いていたブログの更新に力を入れたりしました。
「力を入れる」は、熱心に取り組むというよりは、“身体は元気・ココロは病気”な状態だと時間をつぶすのが負担がかかるので、何かで気を紛らわせるというような意味合いです。
たまたま受けた自己啓発的なセミナー(ダイエットと独立を実現した、とある人物)と、日本に定着しつつあったFacebookで影響を与えていた人(今で言う、インフルエンサーでしょうか)に影響されて、SNS(特にFacebook)で友だち(的な人)をたくさんつくり、ブログで独立することを真剣に考え始めたのでした。
3.とあるスナック
とあるスナックがありました。
コスト的には、一般的なスナックとラウンジの間くらいでしょうか。
そこの女性たちのレベルはとても高く、癒やされるという言葉がピッタリ合うお店でした。
そのお店に出合ったのは、わたしの社会人人生のスタートで大きく影響を受けた会社の先輩が連れて行ってくれたお店だったことがきっかけです。
ママはわたしの一回りほど年上ですが、かわいいルックスで、大人の会話で癒やしてくれる。
他の女性たちも、客より出しゃばることなく控えめな立ち位置でいながら、客のレベルにあわせて楽しい会話ができるお店です。
しかも、自分の会社の事業と全く無関係ではないその業界で、少しばかりママにほめてもらったことがあったこともあり、決して自分の給料(小遣い)では安易に通うなど出来ないお店ではあったものの、数ヵ月に1回くらいは足を運んでいたと思います。
そのお店、病気で休んだとき、ふらっと行ってみました。
4.ママの言葉
転職を考えてるんです。
ママに、さらっと話してみました。
アドバイスを求めていたわけでもなく、でもきっと元気をつけてくれるんじゃないかなくらいの期待は持っていた、と思います。
ところが。
●●くんの人生はあなたが決めるんだから、外野がとやかく言う話じゃないけど。
●●くん、あなたの会社はどんな会社かわかってるよね。
▲▲グループ(わたしが勤務している会社が属しているグループ。いわゆる昔の財閥です)はとても大きいのはもちろんだけど、他のグループと違って雇用をとても大事にするグループ。
今の会社に不満とかがあってやめたいという気持ちもあるかもしれないけど、辞めるのはわたしは賛成しない。
フリーは大変よ。
と諭されたのでした。
そのお店の客層から、ママは企業のトップクラス、本社部門の部長クラスらと話す機会は多い。そこから、企業で仕事するサラリーパーソンの裏表を見ていました。
グループ(財閥レベルの企業集団)間の違いを知っているのはもちろん。
それに、ママ自身も苦労されていたことは、ママ本人から、あるいはそのお店に引き合わせてくれた先輩からも聞いていた。
なので、客だから大事と、安易に話を合わせるのではなく、はっきり「賛成しない」と言ってくれたのでした。しかも、いつも楽しい笑顔ではなく、真剣な表情でした。
安易な表現だけど、その言葉に“目が覚めました”、“目からウロコ”でした。
5.自分を見つめ直す
目が覚めたら、それまで考えていたことがばからしく思えてきました。
たとえるなら、エンジンが故障して急降下していた飛行機が地面すれすれになったときにエンジンが元に戻り、徐々に高度を稼いでいくように、精神的なものがもとに戻っていったように思います。
ブロガーとしてフリーになろうという気持ちは今でもあせてはいませんが、それ単独だととんでもなく非現実的であること、本業が出来ていなかったことに気づき、ブログは小遣い稼ぎ程度、あるいは息抜き・気分転換でやっていこうかな、と。
仕事にも身を入れるようになり、病気休職している間に家を建てることも決めました。
メンタルの病気をしているときに、大きな買い物や深刻な決断をしてはならない、というセオリーみたいなものはありますが、「家を建てる」ことを“後には引けない、逃げられない”ものととらえ、前向きに頑張っていくための目標に定めました。
6,000円(そのスナックの基本料金)を払っていたのをもったいなく思っていましたけど、こうやって目が覚めてみたら、安い授業料だったと思います。
ママから諭されたときのビールは、正直美味しくなかった。
でも、次からそのお店に行くときのビールの美味さたるや、格別です。
その一件の後、そのスナックに行くことは、わたしにとって人生を勉強しに行くようなものになりました。
あらためて、ママのすごさとママに出会えたことに感謝したし、他の女性スタッフたちの存在もあらためて素晴らしいものとして再理解できました。
人事総務を長くやってるわたしですが、そのお店のママを含めたスタッフたちがこれほどまでに魅力ある人物たちだ、ということが最初は見抜けませんでした。
ママの言葉、イケハヤや界隈の連中に聞かせてやりたいですね。
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