新米管理職が書き綴る人事労務の仕事の毎日

管理職・マネージャーになりたて、あるいはこれから管理職を目指そうという方に向けて、現役管理職のわたしが経験談を中心に参考になる話をします。

厚生労働省の改革に期待するしか、日本の改良への道は無さそうとも思える

※答申に目を通し、加筆しました。

厚生労働省の若手官僚が、職場環境改革を要望する答申を出した、というニュースが出てました。

ちょっと前なんですけどね。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1908/27/news079.html

期待してます。

 

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0.この記事の前提

 

わたしは民間企業のサラリーパーソンですが、ほんの一時期、官庁の公務員の方々と一緒に仕事する機会がありました。20年以上前です。まだ厚生省と労働省に分かれていた時代のお話。

そのときの記憶をもとにこの記事を書きます。現在とは違っていると思いますし、また、その答申というのも読んだけど全部理解できてないかも。(記事になにか不備などありましたら、ご容赦ください。)

 

官僚が力を発揮できていない理由はいろいろあると思いますが、職場環境が変わらないと発揮できるものもできないって話です。

 

 

1.偏差値だけじゃない、職員たちの優秀

 

公務員、特に国家公務員、キャリアという人たちを、わたしはそれまでは先入観で見ていました。

  • 頭がいい(偏差値が高い)
  • お金持ちの家に生まれ恵まれた環境で育った
  • 汚職とか不正なことをする人が多い 等など

現実には、少なくとも仕事で接点があったり、あるいは上司たちといった「彼ら」はそうではありませんでした。

 

汚職なども、テレビニュースで出てくるのはほんの一部の一部であって、大多数の公務員たちは真面目に仕事してるんです。

 

頭がいいのは間違いないのですが、彼らの仕事に対する想いは「日本を良い国にしたい」「そのためには自分たちが一生懸命仕事をしないと達成できない」というものです。

そのスピリットに満ちていました。

 

また、キャリアだけではなくノンキャリアも、想いは同じであり、仕事に向けて燃やす情熱は同じです。官庁にはいるための試験の種類は違えど、少なくとも国を思う気持ちについてはキャリアもノンキャリも関係なく、また民間企業のサラリーパーソンとは違うなあ、と感じました。

 

 

そんな彼らと一緒に仕事するのはとても充実していて、民間で仕事をするのとは意味が違う、という側面を感じることができました。

 

 

2.環境が職員たちを無能にしている

 

彼らは優秀であり、彼らがさらに活躍するのならばもっと良い国になる。

具体的には、労働行政は充実するし、新たな政策に意味も出てくる。が、安倍政権でない当時でさえも、彼ら、つまり中央官庁の公務員たちの能力が発揮されない環境でした。

 

(1)貧弱なIT環境

 

当時は文書を書くのはワープロ。「書院」とか「OASIS」とか。10人に1台くらいの割合でパソコンがあったかな。

少しずつパソコンが増えていったんだったかな。すでに会社で(正確にはプライベートのほうが早かったけど)パソコンを使っていた自分は重宝されました。

 

ワープロとパソコンの違いは、データを使いまわしできる、ということですよね。

フロッピーディスク(このブログの読者には、知ってる人は少ないかもしれないね)に保管した文書を他のワープロに差し込んでその文書を修正するとかしかできませんけど、パソコンだとフロッピーやUSBドライブはもちろんですが、サーバーにデータを保管する形を取れば、比較的自由自在です。

 

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それと、当時不便だった圧倒的なハードルは、部署内、あるいは省全体でワープロの機種が統一されていないこと。

極端な話、書院も使えないといけないし、一太郎(パソコンソフトではなくワープロソフトととして)も使えないといけないんです。わたしは使えたからいいけど、使えない多くの職員たちは、たとえばA課が作成したOASISの文書をB課の書院で引用するとかいうことがしづらいので、イチから入力し直すなんてことがあるわけです。

 

もう20年前の話ですから、今とは違うと思います。それでも、答申には「ICT技術の駆使・改善」という大項目があり、その中には様々な効率化の提案あり。

 

労力が無駄遣いになるのを、提言に耳を傾け実現すれば避けられそう。

 

(2)ファイリングという概念が存在しなかった

 

現在進行の文書の保管、整理はしていました。

が、過去の文書は整理されていない。

 

そもそもファイリングという概念が存在しなかった記憶があります。

(他の部門ではあったかもしれないけど)

 

 

彼らの重要な仕事のひとつに国会対応があります。

国会会期中は、国会議員から質問が出て、それに答えるために官僚が資料と答弁を準備します。

たとえば、10月1日の国会で●●議員が労働大臣(もしくは首相など)に▲▲についての質問をする、となりますと、その前日の17時(午後5時)までに議員から▲▲について回答できる労働省の部署に連絡がはいります。

連絡をもらった部署は回答案を書くのですが、過去に同様の質問があったときにどう回答したか、ということもチェックしなくてはならない。そんとき、過去の回答の記録がなかなか見つからなかったり、過去にそういう質問があったかどうかもわからなかったり、極端な話、当時を知っている人物を探し当て思い出してもらうとか。

まあ、不便でしょうがない。

 

これまた、答申の「ICT技術の駆使・改善」の中に“国会答弁のデータベース化”とあります。

20年前に、普通のサラリーパーソン(わたしのこと)が気づいていたことを、まだやってなかった。その知恵がなかったとは思えない。政治家の中に、あるいは官僚のトップ階層の人たちの中に、いろいろと都合の悪い事情があったんでしょうか、と思いたくなります。

 

答申では議員レクにも触れてました。これがまた時間の制約が大きい。

朝7:30とか8:00から、議員に説明に行かなければならない。議員先生は自宅や官舎からお抱え運転手の車でご出勤、職員はもちろん公共交通機関です。

 

 

(3)残業代が出ない

 

労働行政の総元締めの労働省も残業が当たり前。

 

当時の通産省通商産業省。現在の経済産業省)は「通常残業省」とのニックネーム、大蔵省には遅くまで予算をとりまとめ次の日の朝早くからも仕事ができるように「ホテル大蔵(オークラ)」があったりしました。

 

残業代は、少なくともわたしのいた部署は支給されていませんでした。(雀の涙ほどは出ていたらしいですが、実際の超過勤務時間からすれば過小。労働省自身がサービス残業を実践していたという現実。)わたしは、所属している会社に残業時間を報告し、その分をもらえてましたが)

 

わたしは終電に間に合うように退社してましたが、彼らはさらに。超過勤務の時間が想像できるというものです。過労死ラインは平均で80時間/月といわれていますが、それくらい、あるいはそれ以上でした。

 

「そんな処遇(残業代がほとんど出ない)で文句はないの?」

と聞くと、昇格すればするほど幾何級数的に給料が増えていくので、そのため今は(若いうちは)文句言わず頑張っている、と。(天下れば、もっとすごい処遇が待っているとも噂されてました。)

 

残業の夜食も出ません。終電に間に合わなかった場合のタクシー代も出ません。

果たして、労働行政がそんなことでいいんでしょうか。仕事した分、報酬があるのが当たり前じゃないでしょうか。

 

「客観的な労働時間の把握」を民間企業に要求している労働行政ですが、紙ベースでしか労働時間管理をしていない事情、彼らにはあるかもしれません・・・。

 

※夜食、タクシー代は支給されないものの、彼らなりに工夫、改善し、自己防衛していました。そのやり方はわたしからすればまっとうと感じていましたが、同じようなやり方をやりすぎちゃった役所(労働省じゃない)が出てきちゃって、社会から猛批判を浴びたので、ここでは触れません。

 

 

3.醜悪政権の今、日本を救えるのは

 

内閣人事局というのが内閣にできて、官僚たちは骨抜きされてるらしいですね。

そんな環境においても、官僚は官僚の役割を果たしてほしい。その能力はある。

 

彼ら本人たちが頑張らなければならないことももちろんあると思います。

が、コトわたしの経験上からすれば。

 

(1)労働環境

 

上にあげたような、不具合のある労働環境は改善されなければなりません。

労働環境は、本人自身が、というよりまわりが変わらなければって感じだと思います。

 

企業でも、両面あると思います。

人が変わるのか環境を変えるのか

 

官僚の場合、人は十分だと思います。

内閣人事局なんかに負けてたまるか、という意識改革はあってもいいとは思います。)

それよりなにより環境が変わってほしい。

 

(2)国民の目

 

「民間のサラリーパーソンの給与が上がらないのに、なぜ公務員の給与は上がるのか」

「公務員の給与は税金なのだから、残業代は出なくて当たり前」

 

といった国民、納税者の考えがあるなら、それは考え直してほしい、と思います。

公務員の多くが、身を削りながら仕事してます。

 

民間企業だって、だれかの金銭的負担が給与になっているんです。

パン屋さんの店員の給与はパンを買った客のお金です。居酒屋の社員の給与はビール代にお金を支払ったお客さんのお金ですよ。

だから、公務員の給与も「行政」サービスへの対価の税金という代金を国民が支払った、それが原資ですよ。給与は税金って大したことはない。

(政治家の報酬は厳密に考えたい)

 

 

4.最後に

 

当時、一緒に仕事をした方の一人が、今年でしたか、不正統計の問題で国会で答弁してました。

その方が不正を働いたわけではないのですが、上の立場の人ですから答えないわけにはいかない。

しかも、内閣人事局に握られて、本当のこともいえず、適当にごまかす答弁しかできない。

 

その方はとても良心的で、意欲も高い方でした。真面目で、怖い課長にも信念を曲げず立ち向かい、一方で飲み会があると優しく楽しい会話で盛り上がりました。

 

いろんな経緯があってその国会答弁だったのでしょうが、いろいろな「環境」の変化であのようになったのでしょう。

悲しくなりましたね。

 

若手の答申かもしれないけど、他の省庁も含め、官僚の役割や存在が見直され、政治も変わってほしいと願わずにはいられません。